妊娠8ヶ月というと安定期後半。妊婦さんにとっては一番マタニティーライフを楽しめている時期ではないでしょうか?
もちろん私もそうでした。あと2ヶ月でベビちゃんに会えるというゴールが見えてきてる時期。妊婦健診もあかちゃんの姿がはっきりと見えて楽しいですし、ここまで問題なかったのだからあとはきっと大丈夫だろう。元気に生まれてきてくれるだろう。
最後まで何があるかわからないと言われる出産ですが、まあ大丈夫かな。赤ちゃん元気そうだし、順調だって先生からも言われてるし、早産の気配もないし、、、そう思ってノーテンキに過ごしていました。
と言っても、99歳の爺さんの介護と1歳の長女の面倒を見ながらでしたのでまあまあキツイマタにティーライフでしたけど。
12月に爺さんが入院しましたのでちょっと楽になったなと思いながら過ごしていた2019年の12月。25日が8ヶ月の妊婦検診日。前日家族でクリスマスパーティーをして、ご機嫌で検診に行きました。 長女さくらと母と3人で。
私の担当医はベテランのおじさん先生。おじいちゃんの一歩手前くらい。いつも妊婦健診は一瞬で終わります。エコー見て「あ、元気だね。ここが頭ね。今起きてるかなー」くらいの感じです。あとは大きさを測って終わり。2分かかってるのかなーレベルです。もちろんその日もそんな感じで終わるつもりで診察室に入ったのですが、、、
「、、、、、、、、。」
エコー見ながら随分と長い沈黙が続きました。
2分、、3分、、よくわかりませんが、その恐ろしい沈黙が随分長く感じた記憶があります。怖くて、「どうしたんですか?」「どこか悪いんですか」という言葉もすぐには出てきませんでした。
でも、「赤ちゃん、どうかしたんですか?」と、たまらなくなって聞きました。
「赤ちゃんは元気だよ。安心して。でもね、ちょっと羊水が多いんだよね、、」「まあ次まで様子を見てみよう」と浮かぬ顔で言われ、一旦は待合室に戻ったのですが、すぐに別の部屋に呼び出されました。スクリーニングの診察室。
専門の先生がいて、「ちょっと詳しく見てみようね」そしてすぐ、「あー、ほんとだ。前は問題なく見えたんだけどなあ」と。
「何か問題があるんですか?」
「普通なら見えない影が見えてるんだよね。多分腸のどこかが詰まってるんだと思う。まだここでははっきりとはわからないけど、小腸か、大腸か、、。産まれてすぐに手術をすることになると思う。だから大学病院での出産になるかな」
そこの病院も地元では有名な産科専門の大きな病院でした。そこでも出産できないんだということが事の大きさを物語っているように感じました。
「赤ちゃんは助かるんですか?」
「普通に生活ができるようになるんですか?」
「障害がある可能性はあるのですか?」
「産まれてきて生きられるのですか?」
詳しい病気の内容よりもそんな質問ばかりを矢継ぎ早にしました。突然のことで受け入れられてなかったのか涙も出ません。妊娠8ヶ月まで順調でここにきて異常が発見されるなんて思ってもいませんでしたから。
「手術をしたら大抵の子は元気になるよ」
「今のところそれ以外の障害は見当たらないけど、詳しく検査をして見ないとなんとも言えない」
「産まれてきてもこのままだとミルクが飲めないからすぐに手術をしないといけないんだ、とにかくなるべく早く大学病院で見てもらおう」
と言ってすぐに大学病院へ電話をし始めました。あー、まずいのかな。こんな年末に大学病院に行けと言われるなんて。結局28日に大学病院へ診察へ行くことになり、待合室に戻りました。
一番辛かったのはこの時。赤ちゃんに異常があることを母親に伝えなければならない。周りは幸せいっぱいの妊婦さんたちばかりに見えます。私もついさっきもまでそうだったのに。私一人が急に別世界に連れて行かれた感覚。景色がモノクロに見えました。あまりに突然すぎて、想定外の出来事すぎて、ことが大きすぎて、、、
ただ、他の妊婦さんにかわいそうと思われたくない、、そういう突っ張った感情もあり涙をこらえていました。看護師さんから、「びっくりしたね。でもきっと大丈夫だから。ママがしっかりしなさいよ」と言って肩を撫でられながら紹介状を手渡されたときには、さすがに嗚咽と共に涙が溢れそうになりましたけど、ぐっと堪えて。
状況が何もわからずはしゃいでいる長女が救いだった気がします。しっかりしなきゃと思わせてくれました。丸2年経った今も、あの日の光景はありありと思い出せます。天国から地獄って感じだな ふとそう思ったのを覚えています。
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